世界遺産「マチュ・ピチュ」の魅力と秘密
南米の国ペルーの世界遺産「マチュ・ピチュ」といえば、日本でも人気の観光地です。
「マチュ・ピチュ」はアンデス山麓の標高の高い尾根の上にあり、険しく切り立った崖の上に大きな都市の跡が残されています。
人の足で訪れるのも難しい高い山の頂上に非常に高い技術力によって作られた街は今も完全に解き明かされない謎の一つとなっています。
独特のロケーションから「天空の都」や「天空都市」と呼ばれることもあり、発見から100年以上以上経過した現在もい日にちあたり2000名の観光客が全世界から訪れています。
マチュ・ピチュが存在しているのはアンデス山麓の中の「ウルバンバ渓谷」の山間であり、標高は2280mとかなりの高さです。
「マチュ・ピチュ」という言葉は「老いた峰」という意味を持っており、山々の裾野からは都市の存在そのものを確認することはできません。
なぜこのような険しい場所に大規模な都市が作られたかということについては、大航海時代にスペインからの侵略を免れるためであったという説があり、秘密都市として独自の文化を築いてきたとされます。
都市の四方には高い城壁が作られており、さらに神殿や宮殿、兵舎、貯蔵庫といった建物や耕地、灌漑施設といったインフラもきちんと整備されていたことがわかっています。
他の地域からの物資の輸出入を必要としない自給自足の体制が整えられていたということもそれらの施設から伺えており、都市を治めていたインカ帝国の文化の高さがしのばれます。
謎に包まれたインカ帝国
インカ帝国の歴史は今もなお深い謎の中に埋もれています。
というのもインカ帝国に関する伝承や伝記は数多くあるものの、その多くは伝説上の人物でありはっきり歴史上の裏付けができる証拠が残されていないからです。
歴史としてようやく確認ができるようになるのは8代目の皇帝ビラコチャの頃で、1430年代ころからインカ帝国が世界的に領土拡大を目指したということがわかっています。
なぜインカ帝国が滅亡したのかということについても諸説があるのですが、やはりはっきりした歴史的記録となっているものはないのが実情です。
マチュ・ピチュの内部に残されている街の遺跡ですが、その中には現在の建築技術においてもどのように作られたかわからないような高度なしくみを使用しているものが多くあります。
代表的なのが「12角の石」で、全く大きさの異なる12個の石が完全にフラットに面取りをされることにより堅牢な石垣を作っています。
一見何でもないただの石垣なのですが、全く大きさや形状の異なる石を組み合わせたものが数百年以上も前から全く変わらない形で崩れずに残っているというのは非常に高い技術がなくてはなせないことです。